新庄剛志伝説
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逸話集
- 新庄剛志(SHINJO)西日本短大付高→阪神→メッツ→ジャイアンツ→メッツ→日ハム
1972年1月28日生外野手ベストナイン3度GG賞9回球宴MVP2度 - コーチに怒られて正座。 正座させたのは当時の監督・藤田平氏(?)
- 敬遠球打ってサヨナラ。ヒーローインタビュー『明日もかっーつ!』で12連敗。
92年終盤、ヒーローインタビューで「優勝です!」と叫んだ。→阪神は優勝を逃した。
99年6月12日敬遠打ちサヨナラ「明日も勝つ」→1敗
99年9月10日8回裏ガルベスから決勝本塁打、明日も勝つ→12連敗
04年9月20日新庄幻のサヨナラホームラン、明日も勝つ→阪神は2連敗。、ファイターズもプレーオフ敗退
04年4月02日札幌ドーム初戦ライオンズ戦で「明日も勝つ」→三連敗
06年札幌ドーム お立ち台で「今年は優勝!」→阪神が中日との首位攻防戦で三連敗
「これからはパリーグです」→パリーグ存続の危機
バスを母校に寄贈→母校甲子園初戦敗退
- センスないからやめます引退会見(Jリーガー転職)→次の日撤回
- 阪神時代、背番号の上の名前が「SHINJYO」になっていた。
- 阪神5年12億円契約を蹴り、年俸2200万円の大リーグへ。
- 不振(打率最下位)のまま出場したオールスターで応援ボイコットされる、ペットボトル投げ込みとブーイングで試合中断
- 宇野ばりの外野フライ顔面キャッチ
- サインのしすぎで新幹線に乗り遅れる
- ニュースステーションで久米宏のことを「くめっち」と呼び捨てる。渡辺真理、上山千穂ら大爆笑
- メジャー初出場は代走でセンターフライなのにタッチアップで2塁へ。
- 日本人初MLB4番
- 日本人初MLB満塁HR
- 日本人初ワールドシリーズで安打
- メジャーで、出塁時にマイクをつけた一塁手に「来年どうするんだ?」と聞かれ「今年で日本に帰る。帰ってムービースターになる」
- 入団発表前日に「ハムの人になります!」(※丸大食品のキャッチコピー)宣言。しかも「背番号は1!」
- フリー打撃でホームラン、少年の股間直撃、ごめんなサイン
- 鉛筆転がしミリオネアで得た1000万を全て日ハムに寄付。ドームに自身の広告。
- 甲子園出場の母校への差し入れはバス丸ごと1台
- 始球式の球はクリーンヒット オールスターで小学生の玉を打ちに行く
- 大学生ソフトボールの始球式に呼ばれても本気で打ちにいく
- オールスターMVPとります宣言ホームラン予告→セーフティバント ホームスチールで帰還で有言実行。
- ホームスチールの時、ヘルメットが脱げたので、とにかく髪型が崩れたのがイヤだった
- 試合前の練習でカエル、 スパイダーマン、 ゴレンジャー 負けなし
- サヨナラ満塁ホームランかと思いきや、田中幸雄といちゃつきシングルヒット
- 高校時代の新庄、差別をした教師についカーっとなって殴ってしまった→丸坊主に →そのままキャンプイン→先輩選手「お、頭丸めて来たか、気合が入ってていいぞ」と褒められる。
- 阪神時代、ホームランを自身の名前の書かれた応援旗でたたき落とされ二塁打
- ハム時代、タイムリーを打つが、フェンスに当たる前に観客に取られ打点無しの二塁打に
- 入団当初ショートへのコンバートを希望、理由は「かっこういいから」
- 92年5月バルセロナオリンピックのデモンストレーションのメンバーに選ばれて、「僕、世界にはばたきます」 しかし直後に中止が決定した。
- 短距離のスピードを維持するため、長距離の練習を拒否
- 92年12月レコード大賞のエスコート役に選ばれて、 「ここにくるのが夢でした」
- 94年首脳陣に下半身強化を命ぜられるが拒否、理由は「ジーパンが似合わなくなるから」
- 95年着ていたセリエAのTシャツを褒められて、「僕、Jリーガーになりたいんです」 さらに髪を染め「外国人になりたい」
- 97年開幕当初自打球を足に当てた新外国人グリーンウェルが新庄に、日本人は怪我をしても試合に出るのか尋ねたところ「でるよ」
と答え、痛みをおして強行出場。
しかし骨折していたことが判明、帰国、退団へ。 「そんなつもりじゃなかった」 - 98年オフ野村新監督と初めて会い、感想「やっぱりヴェルサーチでしたね」
- 98年オフ野村監督に指導を受け、「一度に言われても覚えきれません、また今度にして下さい」
- 98年オフ野村監督に、「バッティングはどっちの手でするもんや?」 と聞かれ「左です」と答えるも、「両手や」
- 98年12月投手との二刀流をすすめられ、「僕は1球で肩がつくれる」
- なんでも鑑定団に家宝の皿を持って出演、サインを入れて視聴者プレゼント「来年僕が活躍したら、価値が出るでしょ!」
- 99年11月ゴールデングラブを受賞、「僕は外野の監督だと思ってやってます」
- 00年4月センターライナーを転倒しながら捕球「打った瞬間シュートして、とる時にスライダーして、最後にナックルした」
- あの肩でもプロ入りしてから落ちた、高校生時代の方が強かった
- 00年6月鳴り物の応援をしない「球音を楽しむ日」の感想
「(鳴り物)がなければ集中して見てくれていると感じるし、あったほうが盛り上がるし・・・」(ロッテ堀)
「ファンが楽しめるのが一番」(ヤクルト五十嵐)
「僕は打席に入ったら何も聞こえない」 (新庄) - 00年7月故障でオールスターを欠場する巨人上原に対して電話で「お前の分も俺が打つ!」もちろん上原は投手である。
- 00年12月メッツ入団が決まり、メッツの印象を記者に聞かれて、「すごくユニホームが格好いい」 記者苦笑い。
- 00年12月メッツに入団し、 「僕はもう日本人じゃない」
- 02年「もう俺、エーペだから」英語ぺらぺらのことらしい。
- 02年 巨人松井のメジャー挑戦を受け、記者からのメジャーに必要なものは?との問いに、 「DVDとエレガード(静電気防止スプレー)」
- 小学生時代に8回交通事故に遭った。
- 西武ドームでの試合後はコーヒー牛乳を堪能、しかしプレーオフ後は売り切れだった。
- 開幕前「飛んだとこ、よしおちゃん」でシーズンが始まり、右太ももには違和感「もうムリ男ちゃん」でシーズンが終わる。
- 冬は冬眠します!でも3日で終了
- MLBに行って言葉が通じないときに英語が使えない彼は一生懸命努力してメッツの連中に日本語を教えていた。
- 「プレーで50点、トークで30点、かぶりもの(変装)で20点で100点」
- メジャー移籍決定後,「最初の打席で初ヒットが出る気がする」と言い,本当に初打席でセンター前にポテンヒットを放つ
- 背広に背広を重ね着
- 99年春季キャンプで投手に挑戦。
- メッツに移籍した理由は「目立つ首都にあるから」
- タモリ氏と隣町、歩いて三分
- 気になる選手は”イルハン”(サッカー選手)
- 試合のない日は毎日日焼けサロン、風邪を引かないらしい?→でもひく
- 監督が近くに来ると練習を止める、練習を人に見せるのが嫌い
- 引退後の夢はデザイナー、小学生時代所属していた野球チームのユニフォームデザインも新庄が担当
- 交通事故に9回遭う、トラックにぶつかっても3日で退院
- 試合前のノックはバックネットに返球
- 試合前には必ずバットを冷やす
- 税金のことを知らなくて年俸2200万円で2000万円の車を購入
- 一シーズン中に、遊撃→三塁→左翼→中堅のコンバート
- 見て欲しいプレーは”お尻”
- 苦手なピッチャーとの対戦前にはお腹が痛くなる
- ネクストバッターズボックス内でファールボールがチンコに直撃。
苦痛に顔を歪めたままホームラン、守備についても痛がったまま
このときの打法が
放送禁止用語で、各局のニュースで「放送禁止用語打法」と紹介される。 - センターフライをキャッチ、ツーアウトなのにスリーアウトと勘違いしてベンチに戻り掛ける
- ファーボールでバットを投げる、指に引っかかってキャッチャーの頭を直撃
- 1991年、大阪のブティックに現れた新庄がいきなり「一番高いスーツは何?」。店 員がベルサーチと答えると、「それを買う」と35万円で購入。以降、ヴェルサーチし か着なくなった。
- メジャー挑戦した年にCMの記者会見を六本木のクラブ
- ヴェルファーレで行う。
- ↑の会見には突如アルマーニのスーツを着込んで登場。ヴェルサーチについて言及 されると「そろそろ大人にならないとね」
- 阪神時代、ユニフォームに文句をつけて、ビジター用ユニフォームからタテジマを 無くさせた
- 阪神時代、「ジーパンが穿けなくなるからウェートトレーニングはやらない」宣言
- メジャー挑戦初年度、「意味なしオちゃん、無理オちゃん」で流行語大賞を狙う
- ↑「意味なし男」と「意味なし夫」のどちらがいいか本気で悩んだらしい
- 敬遠球をサヨナラヒット。翌日の試合前練習で敬遠球を打つ練習をする。
- 敬遠球をサヨナラヒットした日のヒーローインタビューで「明日も勝つ!」よコメ ント。翌日の試合は3打席連続三振を含む5打数ノーヒット
- 2006年阪神との交流戦で、キャッチャー矢野に「敬遠球を打っていい?」と聞く
しつこく敬遠球を打とうとして失敗 - 野球人っぽくないと言われるのが嬉しい
- ”妄想トレーニング”を欠かさずしている
- 中学時代にはサッカーをやっていた。高校で野球を始めた理由は「足だけじゃ面白 くないなって、手も使いたいって思って」
- 本気で野球を始めたきっかけは町内会のソフトボールの試合で負けたから、初めてスポーツで負けた、野球が一番難しいスポーツだから
- プロまで続け、引退までトップになれず、真ん中レベルだった
- 1992年のヒーローインタビュー「新庄君、これで首位にたちましたね」に対し 「え!?ホント!?最高!」とコメント(順位を把握していないらしい…)
- 1993年6月「四角いストライクゾーンがくっきり見える」発言
- トレードで移籍してきた松永浩美に打撃指導をされていたが、当時の打撃コーチが 一言「こいつは天才、教えても無駄」と言い放つ
- オリンピックはアメリカのアテネで行われると思っていた
- 自分がヒーローになれるよう、自分をプロデュース
- 緊張しないように、3歳時からインタビューの練習をしていた。
- 年俸2200万円の時に買った車カウンタックに飽きて購入したのが、ランボルギーニ 社最大の失敗作、チータ。それを「サウジアラビアの王様が乗る車です」と自慢
- 1993年オフの契約更改で人気料で600万円上積み
- 1994年秋季キャンプで山内一弘コーチの「チャンスに強く、常にファンを喜ばせる
だけの華がある。勝負強く楽しませる選手になれ。
王貞治ではなく、長嶋茂雄を目指 せ」と言われるも「長嶋って誰?」発言 - 残留した理由は、ロッカールームで携帯の電波状況が悪いのを改善してくれると約束してくれたから
- ”あそこ”がしっかり収まらないとプレーに影響が出る
- 髪を染めて「外人になりたい」発言の時の髪の毛の色は「緑色」
- 1997年開幕前「今年の阪神の外野は、亀山さん、檜山さん、平塚さんできまりで
しょ」とベンチウォーマー宣言。
その年来日予定だったグリーンウェルについて
言及されると「エーっ、グリーンウェ ルって外野手だったんですか!?」 - 同年キャンプ中、田淵臨時打撃コーチに指導を受けるも「よくわかりませんでし た」
- ネタが尽きたのか、パフォーマンスを公募
- 野村監督に二刀流を勧められた際のコメント「今日は先発、明日はセンター、あ さってはやすみ」休むのかよ!
- 野村監督が着ているので、ヴェルサーチはやめた
- 1999年、坪井が捕球するつもりで構えていたフライを横から飛び出し強奪しバック ホームで3塁からタッチアップした李鐘範を補殺。
- ホームランを打つ感触についてインタビューされる「わからないです。バッティン グのことはあまり聞かないでください」
- 強肩で知られるが、高校時代からは力が落ちた。
- 自分の乗っている車の名前を知らなかった
- エビ、蟹が苦手で、食べたら意識が無くなる。
- 目標とする選手は自分自身
- ダースベイダーの格好をして始球式。ジョージルーカスの公認つき
- 歯磨きは毎日13回はする
- 歯医者で入れた歯は規格外の白さ、特注で作ってもらった色
- 常にオーラを出す練習をしている、ある日のオーラは162%
- 阪神にドラフト五位で指名されるが、指名順位が気に入らずにしばらく入団を迷っていた 父の「行けなかった。あこがれの甲子園でプレーが出来る」という言葉で入団を決意
- 普通の外野フライもジャンプして取るというプレーに「少年野球に悪影響を及ぼす」と通告される
- インタビューの途中に、握手を忘れていた選手の所へ行って握手をする
- 背番号5を選んだのは「カクカク」しているから、自分に合っていると思った。
- 始球式の球を打ち返す、女子小学生の球も遠慮無くセンター前へ
- 「足が速いのに、何故盗塁しない?」と野村監督に言われ、「盗塁には興味が無い」と答える
- 守備でのスーパープレ、ハッスルプレーに「球界の魔術師」、「高田繁」と呼ばれる
- アメリカで「MIAMI」と書かれた看板を”ミアミ”と読む。「マイアミ」と教えてくれた 同僚にも「ミアミ」と譲らず。
- 阪神との交流戦でタイガースのユニフォームを着て練習に登場
- 伊達選手の名前を覚えられず「イダテ選手」と呼んでいた
- 福岡市立長丘中学には歴代の校長に並んで新庄の写真も飾ってある
- 始球式でオロナミンCの瓶を持ってバッターボックスに、残念ながら空振り
- ユニフォームは一人だけ特注品、体が一層シャープに見えるように
- オールスターに代走出場。何もしてないのに大声援、何もしてないのにガッツポーズ
- オールスター用のユニフォームとスパイクを特注
中が赤いシャツで胸が見えるシャツで、チーム名の胸部分には”SHINJO”、背中に”FIGHTERS”
新庄曰く「今日は新庄ファイターズで」。しかし試合での使用許可は得られず スパイクにはダイヤモンドを埋め込んであった。
180万円のダイヤが埋め込んであり、二つで一千万円
ルール違反の始球式用黄金バットを使用、審判もお祭りだからと黙認
- 新庄のグッズなどを札幌ドームで展示、その名も「新庄秘宝館」
- 体を鍛えたのは練習やウエイトトレーニングなどではなく、父の家業(造園業)の石運びを手伝っていて鍛えられた
- ダイヤモンド入りスパイクをギネス申請
- 新庄剛志の下着論!5回はいたら捨てる…毎日が勝負パンツ
- 新庄剛志、今年の目標「SHINJOY!(→▽←)
- オフはヴォイストレーニングに専念
- 2005年残留交渉の争点は「新庄劇場」のパワーアップ容認を要求。年俸ではなく、かぶり物が大事だ。 チームから出された条件は「ルールを破ったり、和を乱したりしない」だった。
- 特殊メークマスクがパンになる!
- バッティングの極意は「白い球を、強く打つ」
- 藤田平が新庄を説教「お菓子ばっかり食べてるんじゃない!」
- ゴールデングラブの授賞式を欠席し、ベストスニーカー賞の授賞式に出席
- 理想の体型は、トイレのマークの逆三角形
- 「新庄選手」と呼ばれるのが嫌い、野球選手みたいだから
- ミスターマリックとマジック対決、マギー審司直伝のマジックでミスターマリックから「Mr.ツヨック」の芸名を授かる。
- ラジオ番組にて六時間ぶっ続けでDJを努める
- キャンプへは5000万円のルイヴィトンのバッグを持って参加
- 写真展にて「第二のヨン様を目指して気合いを入れて行きます」
- 2006年の目標はハリウッド進出、バットを振ってないので手には豆が無い
- テレビ版組にて見事に手品を披露「手品が出来たらもてるんです。」
- 2006年オフシーズン、「来年は歌手になります!」宣言
- 2006年対楽天戦の秘策は”ヘラヘラして相手をカリカリさせる”、楽天をなめてID野球を粉砕する
- 2006年秋、他チームから監督候補としてリストアップされる。プレイングマネージャー候補
- はなわに自分の曲の作成を依頼「日焼けサロンみたいな、ノリノリのバラードを作ってよ」
- 前日に飲み過ぎちゃったときは、試合中にコーヒーを飲んで気合いを入れる
- 引退後はキューバのほうにコーヒー畑を作って、自分でコーヒーを作りたい
- D-1コーヒーシリーズのCMは今までで一番難しかった、素人さんが言われたことに、僕がぼける。ある意味M-1
- キャンプの途中にマギー慎二とイリュージョンを披露
- ベンチのサイン「ホームラン」→本当にホームランを打つ!
- 愛用のグローブは17歳の時に買った物、盗まれたら野球を辞める
- 外野守備の構えは格好をつけたポーズ
- 新球場のこけらおとしの試合は二軍戦であったが、なぜか新庄も参加する。球場第一号のホームランを放つ
- 外野フライで捕球まであと一歩というときは、肩の関節を抜いて捕球
- ヒーローインタビューの時に下をよく向くのは、吉永小百合のまね
- 清原の吉本出演に対抗して、「東京ガールズコレクション」に出演。
「アルバイトで来ました。今日のテーマは腹筋です!!」
腹筋にマジックで線を入れるネタ込み - 新庄は製作費1500万円の身長4・5メートルの新庄マネキンが完成
、その巨大マネキンを見ての「これに外野守らせたら・・・抜けねぇ~っ」 - なんで自分がそんなに愛されているかを、知りたい
- 試合前から、ヒーローインタビューを用意して貰う
- 引退後は解説者にはならない、自分が喋ると「ピー(放送禁止用語)ばっかりになっちゃうから」
- ヒーローインタビューで引退宣言!
- 四月に早々と引退宣言
- 電光掲示板付ベルトでオールスター登場
NEVER MIND WHATEVER I DO. FAN IS MY TRESURE. - 自民党と民主党から、引退後の政治家への転身オファーを受ける
- 定期的に歯を新調してる
- 引退試合直前に背番号を阪神新人時代の「63」に、翌日には「1」に戻す
- プレーオフ前、観客のいない紅白戦でヒーローインタビューの練習も行う
- 北海道で行きたかった場所は網走刑務所、有名だから
- 子供の頃の憧れの選手はマラドーナ
- 子供の頃、野球のポジションを聞かれて「センターフォワード」
- 野球を続けた理由は、野球だけ一番になれなかったから、他のスポーツはすぐに一番になれた
- 新庄がお金に固執しなくなった理由は、外野捕殺やタッチプレー阻止が年俸に反映されなかったから
お金に換算されないプレーをしてやろうと思って - ホームランの打法の銘々後は、マスコミ各社に打法をメールで送信、ちゃんと絵文字も使う
- 朝はメロンパン
- FA時に中日への遺跡を拒否「名古屋の街は好きじゃない」
- コンビニで10万円使った
- ものを買うときは、値段を見ない、洋服も車も
- ストッキングを被って試合に出たかった
- 自分の給料、貯金がいくらあるか分からない
- 背筋は鍛えない、見せない所だから。腹筋は見せる筋肉なので鍛える
- 新庄のマネキン像は全て本物の大きさ
- バク宙は一発で出来た
- 27個のアウトを全て自分一人で記録するのが理想
- メッツ時代の10本のホームランのうち、9本は他人のバットで打った
- キムタクが抱かれたい男No.1に選ばれた時、キムタクに「今度、俺も抱いて」とメール
- 将来の夢は、外国人になること
- ガルベスが審判にボールを投げて乱闘になったときは、ベンチでジュースを飲んでいた
- メジャーリーグのピッチャーの感想「顔が怖かった」
- 最後のオールスターのパフォーマンスは、国を巻き込む覚悟で
- 白い毛皮グローブ「うしくん」を作成するも、規定違反で試合では使用できず。ボールをキャッチすると細かい毛が舞うらしい
- チェンジになってベンチに戻るときの会話は「明日、何食う?」という話
- ずっと愛用しているグローブを無くしたら、野球を辞める
- 初めての給料でヴェルサーチ、次の日には金が無くなる
- ニューヨークからオファー来い!→見事メッツからオファー
- 関西だけでは終わりたくなかった。
- ニューヨークでカツアゲに合う
- ホームランを打つときはほとんど目を瞑ってる、あんな速い球は見えない
- 怪我の時にファンからの声援があるとベンチに帰る。更に大きな声援を得るため
- 2005年残留の理由「携帯電波が悪いロッカールームにアンテナを付けてくれる事になったから」
- 優勝決定のフライは追わなかった。
- 引退後の夢は「ソロライブ」観客席を満員にしたい
- 引退後に始球式に登場。ソフトバンクのユニフォームで登場し、森本と真剣勝負で145km/hを記録し三振に追い込む
ゴールデングローブ賞の副賞のグローブを観客席に投げ込む - レハサフ社を設立、森本をマネジメント
メジャーリーグ入りする時の、父子の会話
父親「せっかくメッツに入団するんだから大リーガーと会話できるようになるんだぞ」剛志「だけどアイツラ日本語わかるようになるかな」
新庄剛志かぶり物
新庄語録
- 「その球団の名は、ニューヨークメッツです」
- 「僕は外人になりたいんです」
- 「話、聞くのはタダですもんね。でも、全部は聞かない」
- 「メジャー?そんなに違わないね」
- 「ボクに任せて、センスはいいんだから」
- 「これからジョーと呼んで」
- 「4番?オレが一番びっくりした」
- 「イチロー君は記録、ボクは記憶」
- 「アッ、忘れてた!」
- 「俺だってアメリカ人なんだからテロと戦わないと」
- 「チャンスでしか打てないバッターと思われたい」
- 「(自分の車の名前を聞かれて)なんだっけ」
- 「モントリオールってカナダなの?」
- 「アーーー、ムービースター?」
- 「オレ、何か悪いことしたのかなあ」
- 「長嶋さん?知らないです」
- 「プロ野球選手になる。今からサインの練習をしておかなくっちゃ」
- 「タマゴを割らないように、大事に、大事に捕るんです」
- メージャー挑戦前「今は無職です」
- 「俺のは加えてくれないの?(日本通算千本安打達成)」
- 「巨人にウソつかれて。ボクは阪神にいきたい、といったんです」
- 「チャンスでしか打てないバッターと思われたい」
- 「今日の服はトータルで100万ペソ」
- 「自分でも馬鹿だと思う」
- 「野球よりCMを期待して下さい」
- 「ちゃんとした下着をはこう」
- 「ボクのポジションはキャッチャーです。」
- 「見て欲しいのはお尻かな」
- メジャーシーズン前「早くブーイングの起こる選手になりたい」→シーズン後「全然ブーイングが鳴らない。悔しい」
- 「こんにちは!丸大ハムの新庄です」
- 「新庄ウソつかなぁ~い」
- 「女性が見たいと思われるようなお尻を作り上げていきたい」
- 「バント?ムリオだね。右打ち?意味ナシオ」
- 「もうすぐ行くから待っててね!」
- 「最初の打席でヒットが出そうな気がする」
- 「これからはセでもメジャーでもなくパリーグです」
- 「飛んだところヨシオ」
- 「スニーカーは体の一部!!この賞(ベストスニーカー賞)は(西暦)4000年まで獲り続ける!!」
- 「みな遠征で疲れてるから、早く試合を終わらせたかった」
- 「お笑いブームは終わった。これからはSEXY路線」
- 「(ファッションは)自分が納得すればイイ」
- 「ベストドレッサー賞はメジャーでもらった野球の賞より嬉しい」
- 「バッティングは簡単!」
- 「大事な場面で投手を助けることができて良かったライダー!」
- 「ああいうところ(チャンス)でしか打てない自分が・・・だいちゅき♪」」
- 「思ってました(笑)」
- 「来季はどんなかぶり物をかぶって驚かせようかなしか頭にない」
- 入団会見で自慢のリーゼント「自分で言うのもなんだけど結構人気者です」
- 「クマやキツネが出そうな所に住みたい」
- 「おととい、昨日は試合が出来なくてごめんJOY」
- 「九州男児ですばい」
- 「やっとハムの人になれたという感じですね。もう、死んでもいい」
- 「9月度月間MVP?それは、それは…。ほんとにセプテンバーは、“ラッキーマウス”だね。ラッキ、マウス、ラッキ、マウス、ラッキ、ラッキ、マ~ス♪」(ミッキーマウスの曲を口にしながらご機嫌)
- 「どこに行っても2割5分」
- 「今日はジャイアンツ戦だからね、4-5(四打数五安打)は打ちたい」
- 「今日はヒーローに選ばれると思ってました。」
- ニュースステーションに出演「なんで、英語の本場に行って英語を覚えないの?」と聞かれて 「だってアメリカにずっと住む気ないもん!」
- 芸能人のはなわに会って「お疲れバレリーナ」
- コーヒーのCMに出て「自分の血はコーヒーでできてる」
- (野球とCMに出るのとどっちが難しいですか?)
「両方カンタン!」 - 白い歯を保つべく「トイレの便器みたく白くして!」
- 「僕がメジャーで通用すれば、誰でもこれると思うので、門を開けてあげたいですね」
- 「お気に入りのバットが折れて、ショックで夜も眠れない・・・」
- 「お気に入りのバットが折れてちょっと不安だったけど、どんなバットでも一緒だと思いました」
- 「オールスターではMBP(MOST 爆笑 PLAYER)を狙います!」
- 「日本シリーズが毎日なら、4割打てます」
- 「引退の年に日本一になったら、死んじゃいます。ボク」
- 「日本一なんてどうでもいい、野球を楽しみたい!」
- 「いやあ、持ってるわ、オレ。このマンガみたいなストーリー。出来すぎって思いません? 今後、体に気をつけたいと思います」
- 「俺は小さい頃に原っぱで野球やる感じでプレーしてる」
- 「体力の限界はあるが頭の限界はない」
- 「(現役に)戻ってもいいかな、あと2、3年後に現役に戻るかも。もう一度ユニホームを着たい」
- 「ピュ!ピュン!って!あんな速い球打てないよ!」
- 「野球って見ていて何が楽しいんですか?」
- 「毎日が日本シリーズなら4割打てるよ」
ホームラン打法
2004年
- 6○5月10日もうええわ打法
- 7○5月12日天井ぶつけたろう打法
- 9○5月23日車が欲しかった打法
- 11○6月27日北海道に早く帰りたい打法
- 12○6月27日コメント考えてなかった打法
- 14○7月27日バットに当たってくれ~打法
- 15○8月18日ボクちん、ヒーローになっちゃう打法
- 16○8月24日ザ・トス・バッティング打法
- 17○8月24日やばいね打法
- 18●9月01日振ったところにボールが来た打法
- 19○9月04日3時間しか寝とらんばい打法
- 20●9月06日カウンタック打法
- 21○9月08日きょうはもういいでしょう打法
- 22○9月20日コメントなんかしてる場合じゃない打法
- 23○9月21日うっ、そーん打法
- 24○9月23日自分に酔っちゃった打法
2005年
- 3月13日 寒くて手が痛いから芯に当てちゃおう打法
- 3月21日 古館さん打法
- 4月1日 きれちゃいやよ打法
- 4月5日 ショートゴロ3つは、いや~よ打法
- 4月13日 びっくり振ったら当たった打法
- 4月15日 右、キンタマ打法大当たり
- 4月18日 ボク、下手投げ得意じゃないの打法
- 5月3日 阪神の三宅スコアラーが困っちゃってる打法
- 5月21日 “WeLoveSHINJO”にぶつけたかった打法
- 5月25日 この球場は2本打って1本にしてあげないと、ピッチャーがかわいそう打法
- 5月26日 なんか広島好きになったんじゃけん打法
- 6月1日 外のチェンジアップを待って、真っ直ぐをくるんっ打法
- 6月5日 こんなオレが2号?うっそ~ん打法
- 6月11日 オレを育ててくれたこの球場に感謝打法
- 6月12日 疲れ過ぎてコメントなし男ちゃん打法
- 6月15日 みんなにつられちゃったよ打法
- 6月26日 セーフティが決まらんで、よかったば~い打法っち
- 7月6日 狭いわ~、でももうちょっとクーラーを効かせてくれ打法
- 7月8日 いち、に~の、18打法
- 7月8日 テキーラ打法
- 9月10日 やっぱりオレ…、持ってるわ~打法
2006年
- 2月18日打法名はまだ早い打法
- 「俺しかわからないオーストラリア打法」
※岩本勉氏曰く「放送できない意味」 - 4月18日ソロ「28年間思う存分、野球を楽しんだぜ。今年でユニホームを脱ぎます打法」
- 4月18日満塁ホームラン もう打法名はないだろう
新庄引退ヒーローインタビュー
「今日、このヒーローインタビューという最高の舞台でみんなに報告したいことがあります
タイガースで11年、アメリカで3年、ハムで3年 今シーズン限りでユニフォームを脱ぐことを決めました
最後のユニフォームの姿 球場に足を運んでもらって目に焼き付けて欲しいと思います
また残りシーズン今まで以上に どんどん楽しみたいと思います 今日はありがとうございました」
新庄評
- プロ野球を代表する選手になれる選手(福本)
- プロ野球選手なら誰でも嫉妬するだろう身体能力・潜在能力の持ち主(真弓)
- プロの目から見てナンバーワンの外野手(落合)
- あいつはどえらいセンターだ(ボンズ)
- 若い時にいい指導者に出会えてたら、イチロー以上の選手になっていたろう(広岡)
- こいつは化け物かってレベル(古田)
- 普通の選手は、球団が選手に何かをしてあげるしかないが、新庄は球団のために色々してくれる唯一の選手」(新庄の外野広告の際の日ハムの偉い人)
- 憧れとか尊敬というのを超えて、とにかく「かなわない」人。(坪井)
- 「僕はヒットに出来るボールを、ヒットになる打ちかたで打っているだけ、
ヒットに出来そうに無いボールを、毎回違うフォームで打っている新庄さんこそ本当の天才です。」 (イチロー) - 「いい歳していつまでバカみたいなしゃべりをするつもりなのか?」 (星野仙一)
- 宇宙人、野球の才能の固まり(阪神時代の野村監督)
- 「(新庄は)いつも格好ばかり。ただの目立ちたがり」(楽天監督の野村)
- 「英語より、中国語の方が向いている」(学校の先生)
受賞歴
- ベストドレッサー賞
- ジュエリーベストドレッサー賞
- メガネベストドレッサー賞
- ベストスニーカー賞
- ベストフォーマリスト
- 第1回ダンディ大賞2006
やさしい話
http://www.nikkansports.com/ns/baseball/mlb/kojima/mb-kojima23.html
「プロ野球の存在意義は、その街の人々の暮らしが少し彩られたり、
単調な生活がちょっとだけ豊かになることに他ならない。
ある球団が中心で物事を進ませるセ・リーグにはない、
野球くささをパ・リーグはもっている。」
5/14日刊スポーツ、4面
by新庄剛志
ハリーの新庄への愛
ほぼ毎週のように新庄に喝連発。最初は叩きまくっていたが、
いつの間にか肩、守備を認めだす。
メジャー2年目新庄がMKP(Most Katsu Player)取得
メジャー3年目、喝を入れながらも「日本に帰って来いよぉ」
天国の少女に捧ぐ「元気ハツラツ」
まだ北海道に冬の寒さが残る3月、新庄はこっそりと、重病に伏した少女を見舞った。
大の新庄ファンだったその子に「君さ、すごくかわいいよ。きっと大人になったらモデル
になれる。絶対に治るから」と、新庄らしい言葉で励ました。
パソコンのカバーにサインをして「今日は君のためにホームランを打つよ」と予告して、
本当にその日の試合でホームランを打ってしまった。
その少女は、あこがれのスターから勇気をもらったと言ってはしゃいだ。ただ、いたずら
な病魔が進むのは早かった。シーズンが開幕してから、その少女は天国に逝った。
最後に「1%でも生きることのできる可能性があるなら」と米国の病院に移ることを決意
したが、異国でその命を絶たれた。
ショックを受けた新庄はひどく落ち込んだ。「応援してくれてるファンを裏切りたくないか
ら」。笑顔のすてきだった少女へ、そしてプロ野球ファンへ――。パ・リーグを盛り上げ
たいと人一倍思う男が、野球の素晴らしさを自らのパフォーマンスで体言した。
(寺尾博和)
不本意な成績でゴールデングラブ賞を受賞、SHINJO選手コメント
「今年のオレのゴールデングラブ賞はおかしい。1年間この賞を心の中で目指して
取り組んでいた選手に申し訳ない。来年からは、印象ではなく数字で選んで欲しい。
そうでないとこの素晴らしい賞の価値がなくなってしまう。」
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